日記・着たい服がない

着たい服がない。

こんなにも着たい服がないというのは生まれはじめてかもしれない。

買い物に行くけど、だいたい買わない、いや、買ったとしても人と会うための服、よそ行きの自分用だ。

なんというか、人の思想のかたまりの服がなんともしっくりこない。
逆に量産でなんもないものも着たくないし、本当にしっくりこない。

これは一体何なんだろうか?
これは老化の一種なんだろうか???
素敵だなーいいなーって思うのに。
着るとなるとなんか違う。

服と自分が調和しないというか、そういう違和感を感じてしまう。
私の好きなのは長くずっとつけているアクセサリーだとか、趣味趣向思考なんかの延長線上にあるものとか、自分から離れていないものだ。
自分らしいとえばいいのか、むしろそんな言葉が出ないほどに馴染みたい。
それが理想だ。

服なんてどーでもいいというわけではない。
むしろ服はすごく好きだし、ただ単に着たい服がないだけ。

そんなこんなで自分で服を作り始めたら、すごくいいじゃないってなってる。
おしゃれとかメッセージ性とか時代とか全部置き去りにして、ただ自分のそばにあって違和感なく馴染む。

自分の着たい服を素材から選んで、好きなサイズとデザインで着る。
どうしたって自分ぽい。
これからは自分でつくることが増えるだろう。
自分で作ったものを中心に服を着れるようになりたい。
特別なものじゃなくて、服を意識しないくらい自分というものにフィットしてるものが着たい。
綺麗な服、かっこいい服、面白い服、明るい服、強い服、いろんな服があるけれど、自分らしい自分による自分のための服。

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今日の脳内・こんまり

やりたいことをやるがモットーな私なので、とにかくやりたいことを思いつきでやりまくっている人生。
そんな感じなので、やりたいことリストが空っぽになってきてしまった。
結果を出す派じゃないからか消費が早い早い
行動の中で自分が何か学び納得すれば終わり派、まじ困っちゃうわ。

やってみたいなリストはまだまだ残っているけど、なんせちょっと面倒くさいことばかりなんでこちらのリストは全然減らない。
簡単そうなのはすぐやるのにな!!
でもさ、それがまじ人というものだな。
なんなら簡単とか難しいとかそういうことを考える隙を与えないくらいのものがやりたいことなのか。
面倒くさいってちょっと思ってしまうことって、実はやりたいことではなく、やるといいこと、こんなことをすると私が良くなるかもしれないこと、なのかもしれない。
なんかそれってめちゃくちゃ外の力が働いているやないか。
世の中の流れ的にこれをやっておけばいいみたいなさ。
それは私の純粋な気持ち・欲というより、私の計算、みたいな感じじゃないか。
そういうのはこんまりだ。
こんまりすればいい。
ときめきはそこにないもの。
もっとときめきで動きたい、そう強く思った。

まじ、次何をやろうかな~
それをみつけるためにはやはり妄想とか瞑想とか想像とかそういう、自分ひとりだけでじっくり考える作業が必要だなって思った。
だからさ、ちゃんと部屋を片付けて快適にしてさ、お風呂に早めに入って寝る用意してさ、いざ妄想と瞑想の旅に出るぞ!って感じでベッドに寝転ぶとスマートフォンで遊んじゃうんだよね。
発言小町なんて面白いんだろうってね。
まじ色んな人がいるんだなって。
本当に私ってこういうやつなんだ。
次何をやろうかな~をこんまりするしかないのでは。
そしたら人はただ食べて寝て発言小町を読むくらいしかしないのでは。
どーしょうもないな!!!!!!!!
ちなみにこんまりのことは断捨離・ときめきしかしらないしなぜこんまりが出てきたのかは分からないし、多分眠いからだ。
ただいま2時52分だもん。
以上

elmo